高階 秀爾 (選考委員長/東京大学名誉教授)
今回のVOCA展は、それぞれの作家の問題意識が明確で作品の成熟度が高く、充実した内容となった。VOCA賞を得た曽谷朝絵の「Bathtub」は、主題と表現の対応が卓越で、微妙な浮遊感をともなった清新な色彩表現によって、他に類を見ない魅力的な絵画世界を生み出している。奨励賞の石塚ツナヒロの力強い造形感覚、溝口真一の精緻な神秘的構成、後藤智の鮮やかな色彩の新鮮さは、いずれも今回の収穫である。照屋勇賢は、伝統的装飾表現のなかに鋭い現実認識をひそませた異色作によって注目された。
早いもので、この展覧会も九回目を迎えました。最初は「平面」とは、「絵画」とは、というような表現の枠組みや表現それ自体のもっている意味について、何かと気になったものです。
VOCA賞の曽谷朝絵の画面の不思議な光は、どこかしら写真的であるように思えなくもない。あえていうなら、彼女の絵画は写真の模像ではなく、その光の原像たらんとしてしているのだ。奨励賞の後藤智の作品もまた写真的な視覚を感じさせるが、それもまた写真以降の視覚ではなく、写真の原像をなす視覚というべきであろう。写真というメディアは画家たちに絵画の力の根源性を認識させずにはおかないのである。
今年も全体的には低調だったとおもう。実力のある人たちの意欲が空回りしているのが残念だし、「絵画」にかんする思考の甘さも散見される。そうしたなかで、曽谷朝絵さんの、見る者を暖かに包み込むような浴室の絵は、「希望としての絵画」をまっすぐに目ざしている点で際立っていた。
今回ゲストとして初めて審査に参加させていただいたが、一言で平面といっても写真から着物に描かれた絵など多様な素材と形式があり、マテリアライズドされたイメージあるいはフォルムと色彩のコンポジションのあり方を再考させられた。特に筆者にとって、カンヴァス以外の支持体ー壁画やプラットフォーム絵画、着れる絵画などー絵画(picture)と多様な支持体、そこから導かれる場の関係が、平面の可能性に関する最近の関心事であっただけに、後藤智のガラス絵や照屋勇賢の作品は興味深いものであった。 |
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