2013年6月13日
作者は高村光雲。『智恵子抄』で知られる高村光太郎のお父さんです。
光雲は仏師として身を起こしたため、明治維新後は廃仏毀釈で厳しい時代を過ごしました。
その後、岡倉天心に乞われて東京美術学校の教師となり彫刻家として活躍しました。
上野公園のランドマーク・西郷隆盛像の木造原型を制作したことでも知られています。
日本美術協会の展覧会にも何度も出品していて、ある時、売約先が決まっていた木彫
の《矮鶏(チャボ)》が明治天皇の眼に留まって買い上げとなり、後日つがいとなる雌鶏
を制作して献上したというたというエピソードがあります。
展示の作品は、三の丸尚蔵館所蔵の「文使」です。
古代風の服装をした青年が重要な文書を入れた柳筥(やないばこ)を捧げ持つ場面です。画:村山之都
明治33年の皇太子同妃両殿下(大正天皇・貞明皇后)御成婚の際の献上品で、柳筥の中には、
皇太子妃の年齢と同じ17枚の切手を入れて献上されたそうです。
*展示作品の中には、切手は入っていませんよ。